万歩計
ウォーキング日記
2011年3月31日(木)
被災者の方、無事到着し入居完了

今朝は、別のボランティア活動(福祉施設)のためウォーキングを中止しました。
さて、被災者の方の受け入れ(第2グループ)は無事入居されました。1家族(6人内2名の高齢者は遅れる)です。立場を変えて考えれば、東北から九州の西の果てに避難するということは大変なことだと思います。不安なことだろうと思います。
支援の輪も次第に広がっております。不足していた寝具もそろいました。中古ですが、冷蔵庫、炊飯器、洗濯機、暖房器具、掃除機、照明器具なども何とか揃いました。感謝感謝ですね。
米や野菜も届いています。行政も本腰を入れてやってくれています。ただし、これで終わりではありません。今回の場合は長いスパンで支援を続けなければならないと思います。南相馬からの被災者が思っておられることですが、今回は原発の被害が一番気になる、10年は帰れないだろうといわれていました。
話は変わりますが、我家の「胡蝶蘭」は今年も咲き始めました嬉しいですね。(福祉施設を退職したときにいただいたもの)

2011年3月30日(水)
被災者第二グループ受け入れ

本日、10時より被災者第二グループを佐世保市が受け入れます。前回のお友達のようです。
masakoさんからの呼びかけで私もこれから受け入れ支援に向かいます。今回から佐世保市社会福祉協議会も参加されるようで心強いですね。「にわかボランティア」では限界がありますからね。
不足しているのは、布団と食糧です。お金があれば被災地ではないので何でも手に入ります。しかし、これからの長い避難地生活のことを考えるとお金は大事です。義援金の配布を早くやってほしいですね。
佐世保の朝はまだ寒い!桜の満開にも時間がかかりそうです。

2011年3月29日(火)
農地は復旧できるのかな

テレビの映像で見る限り、農地には瓦礫があり、浸水しており、さらに油までかぶっているようです。今年の米作をどうするのかを考えなければなりません。全国の休耕田を復活させる方法もありますが、作り手が足りません。食糧自給力は国力を表します。土づくりは大変な作業ですけど、時間をかければ立派な作物を収穫することが出来ます。飛躍した話になりますが、就職難民の若者を農業に取り込んだらどうでしょうか。来年は間違いなく米が不足しますよ。
さて、こちら九十九島湾ではイルカが確認できました。湾内に入ってくるのは珍しいようですが、地球温暖化の影響でしょうか。
母ですが、意識ははっきりしているのですが、話しかけてもすぐには返事が返ってきません。どうしてでしょうかね。

2011年3月28日(月)
人間の行動をつかさどるものは「情報」

今朝も寒い朝でした。昼間は暖かくなるのですけどね。
さて、最近の報道をみて感じることですけど、福島原発が中心で、時折震災や津波の報道を見聞きします。しかし、長野県の震災も忘れてはいけません。確か震度6がでした。飯田線の線路が垂れ下がっているのをテレビで見ましたが、発生時から今までどうなったのかさっぱりわかりません。
人間の行動をつかさどるものは「情報」です。報道によっては結果的に振り回されることになりかねません。また、人間は「情報」の裏を読み取ろうとする習性があるようです。そうすると、余計な行動をとってしまうことになってしまい、それがパニックとなり致命的になることになることもあります。
どうしたらよいのでしょう!
喉のつかえ(違和感)が続いていましたが、「半夏厚朴湯」で少し緩和されたようです。

2011年3月27日(日)
意味のないことなど・・

なかなか暖かくなりません。今朝も3度くらいしかありません。おまけに霜も降りています。
東北・関東大震災はまだまだ落ち着きを見せていません。まだ、復興に向けて出発したばかりです。経験と言うには犠牲が大きすぎました、。しかし、近いうちに発生するであろう「東南海地震」に向けて準備を怠りないようにしなければなりませんね。今回の経験を無駄にしないことです。「意味のないことなど起こりはしない・・」
佐世保に避難してこられた被災者の方々も少しづつ落ち着きを見せています。故郷が気になるでしょうね。

2011年3月26日(土)
友人たちからの近況報告

東北・関東大震災の被害規模は大きいですね。東京横浜千葉でも間接的な被害があるようです。特に計画停電などで通勤、物流、コンピューターシステムなどに影響が出ているようです。なんとしても日本の経済を復活させなければならないのですが、”電気”という目に見えないものがボディブローのようにジワジワと効き始めているようです。とにかく福島の原発が無事に終息してくれることを祈ります。
さて、こちらパールシーリゾートでは新しい公園が誕生します。場所は、鹿子前海水浴場隣です。間もなく開園のようですから楽しみにしてください。(下の写真です)

2011年3月25日(金)
少しづつ落ち着き始めている。

今年はいつまでも寒い!今朝も北風が強く冷たい。そんな中でも毎日ウォーキングができる自分は幸せ者ですね。
さて、福島県相馬市から避難してこられた4家族11人は、次第に落ち着き始めているようです。しかし、初めての土地ですから慣れるまで時間がかかることでしょう
。昨日は子供たちへのカウンセリングも行われているようです。
私たちのボランティア活動(実質、最後の猪調中学校卒業生グループ)もとりあえず終息に向かっておりますが、次の避難者受け入れも予定されているようですので、長いスパンで活動したいと思っております。
私の奥さんも、布団を用意したり、カーテンを洗ったりで後方支援をしております。できることが有れば何でもやるという精神です。

2011年3月24日(木)
書き留めておきたい言葉。

「愛を学ぶために孤独があるなら
意味のないことなど起こりはしない。」

 これは平原綾香さんが歌う「ジュピター」の1節の歌詞です。

 今回の震災に意味があるとしたら・・どんな意味があるのだろう。 それは、10年後、20年後にわかるのかもしれない。
今月いっぱいは暖かくなりそうもない、被災地も寒いだろう。 「レンタル犬・うめ」を抱くと何とも言えない温もりが伝わってくる。この温もりを被災地に伝えてやりたい・・。

2011年3月23日(水)
桜が咲いた・・

甚大な被害をもたらし、人々に深い悲しみと絶望を与えた自然が、皮肉にも人々の心を癒すために桜の花をを咲かせ始めました。
  「忘れないよ!3・11」

これからが正念場です。復旧、復興には相当の時間がかかります。佐世保市には4家族が避難してこられましたが、次の避難予定者もあるそうです。ただ受け入れるだけではなく、長い時間の中で何ができるか、何をしなければならないのかをじっくりと考えなければなりません。「一過性」では困るのです。

母は、今日介護病棟へ移ります。入院期間も5か月になります。我が家に帰りたいでしょうに。
さて、自分の老後はどのように推移していくのでしょうか。認知症状が出て、家族を困らせ、突然転倒し骨折入院、寝たきりになり、次第に摂食障害がでて、突然誤嚥をおこし肺炎に、そして・・・。
ああ、長生きはしたくない・・そう思います。

2011年3月22日(火)
久しぶりのウォーキング

雨の二日間でやむなくウォーキングを中止しました。今日は久しぶりでした。
阪神大震災の時と違って今回の復旧はスピードは遅いようです。被災の規模が大きかったからでしょう。
高齢者も施設も被害にあったようです。別の施設に避難と言ってもどこの高齢者施設も満室です。被害にあっていない施設のスペースを何とか利用して受け入れるしかありませんが、職員の確保なども重要ですし、関係する機器も必要です。各自治体が規制を緩和して対応しなければなりません。
母ですが。、三か月のリハビリが終わりになりました。このままリハビリを続けるのなら今の「療養病棟」から「介護病棟」に移ることになります。今日はその打ち合わせ日です。
昨年、母の娘(私の妹)が亡くなりました。しかし、母は覚えていません。物忘れが極端にひどくなってきています。

2011年3月21日(月)
昨日も今日も雨・・被災地はどうしている。
友人からの近況報告が届く。今回の大震災により、それぞれの被害や思いが伝わってきます。何かしてやりたい、もどかしい、無力感などがそのほとんどです。今できることは、いつまでも忘れずに被災者のことを思い続けることです。「のど元過ぎれば熱さ忘れ・・」では次第に支援の力もなくなっていきます。復旧、復興には相当の時間がかかることでしょう。長い時間の中でじっくりと自分ができることを考えればよいのです。そして、「忘れないこと」ですね。
佐世保市でも支援物資の収集が始まりました。間違ってはいけないことは、慌てて買い出しをすることです。新品は有りがたいと思います。しかし、市内で物不足が生じては困ります。特にオムツや粉ミルクなどです。結局、メーカーから被災地に送る物資が不足するのですから。
衣類などを支援する場合は、洗濯済みの清潔なものをお願いします。被災地には洗濯機も水もないのですから。家庭の「ごみ」を支援してはいけません。本当に必要とされるもの、使えるものでなければなりません。
私も50年ほど前に「被災者」になりました。救援物資をいただきました。箱の横にはなにやら横文字で書かれていました。そうです、アメリカからの救援物資でした。各家庭に一個ずつ配れましたが、開けてみると、中からは、「真っ赤なハンドバック」、「バカデカイ下着」などが出てきました。救援物資は有りがたいのですが使えません(ゴミになりました)。
本当にありがたかったのは、食糧です。「まるはのソーセージ」、「缶詰」、「水」は嬉しかった。しかし、缶詰を開ける「缶切り」がなく食べるのに苦労しました。
トイレも苦労しました。避難先が山に近かったので穴を掘って用を足したことを覚えています。
支援は長続きさせなければなりません。機会が出来たら積極的に支援してください。「俺がやらなきゃ誰がやる」根性では長続きしません。
2011年3月19日(土)
気持ちのいい朝を迎えられたでしょうか。

おかげさまで被災された方の本格的な受け入れができ、昨日4家族が入居されました。ゆっくりと眠ることが出来たでしょうか。これからも長い目でフォローをしなければなりません。見も知らぬ土地へ来て不安なことだろうと思います。
昨日は、支援物資の仕分けを行い、被災された方たちへの引き渡しが行われました。
今回思ったことですが、支援物資として提供する場合は、特に衣類などはきちんと洗濯したものを提供してもらいたいですね。洗濯機などは無いのですから。また、器具類などは、使用可能なものを提供するべきです。支援物資がゴミになってしまいますからね、。
今朝も平常通りウォーキングに行ってまいりました。佐世保は暖かい朝でした。

2011年3月18日(金)
今朝も被災地は寒いようです。

今朝の新聞を見ると気になる記事を見つけました。佐世保市が東北・関東大地震で被災された家族を受け入れた記事です。佐世保市は、被災者のプライバシーを守るために公表しなかったといっているようです。
前から感じていたことですが、個人情報保護やプライバシー保護に対して必要以上に過敏に反応しすぎるのではないでしょうか。マスコミが興味本位に取材をするのは許せませんが、最低限のプライバシーを守れば、その見返りは必ずあると思うのです。今回のようにある程度情報を公開しなければ支援物資は揃わなかったと思います。
今回,、行政が用意したのは、住居とガス、電気、水と一人2個くらいの缶詰、2日分の保存食、そして薄い敷物と毛布だけです。ガスコンロ、照明器具、暖房器具、調理用具などは一切ありません。佐世保市民の協力を得るためには臨機応変が必要なのです。

2011年3月17日(木)
佐世保市、東北・関東大震災被災者を受け入れる
佐世保市は、3月17日、東北・関東大震災の被災者4家族(11名)を受け入れた。かねてより被災地に対して何かできないものかと悶々としておりましたところ、被災者受け入れの情報が同級生の”masako”さんから入りました。被災者の方の受け入れ先は、私の故郷である”長崎県佐世保市江迎町田之元免、開田市営住宅(ひらきだ)”です。絶好の後方支援来たり!。”masako”さんの呼びかけで現地の同級生数名が集まりました。被災者は福島県南相馬市の方です。(小学生、中学生、高校生含む)。全くの着の身着のままの状態でした。我々は、にわか「ボランティア部隊」を編成し、生活必需品を集めることにしました。
結果的には、受け入れ先の団地の方の心温まるご厚意や「ボランティア部隊」の活躍により、最低限の物資が集まりました(写真参照)
日本人って、本当に素晴らしい国民です。助け合う気持ちは何処の国にも負けないと思っております。きっと、見事に復興します、そして全世界から絶賛されると信じております。
さて、団地への入所は3月18日午後ですが、その後の支援も必要かと思います。ボランティアには力仕事以外に色々あると思います。できることから手を付ければよいのではないでしょうか。

4家族の方達、気持ちをしっかり持って乗り越えてください。我々は応援します。

写真1:泥まみれの車(福島ナンバー)
写真2:被災された皆さん。
写真3:集まった支援物資
写真4:ボランティア部隊の気持ち


2011年3月17日(木)
佐世保も品不足・・ネットショップも

なかなか暖かくなりません・・などと言うと被災地の方から怒られますね。支援が行き届いてないところがあるということです。そういうところには、自衛隊の大型ヘリコプターで重機と人と燃料を送り、ヘリポートの確保をすることを考えたほうが良いのではないかと思います。
東南海地震が発生したときのことを考えてきっちりと検証していおおくことも大事です。
ここ佐世保では、食料品や電池、水などを購入する人が増え、スーパーなどでは不足がちです。おそらく首都圏に住む知り合いに送るのでしょう。しかし、安心のための買い溜はいけません。日本全体で暫く辛抱しなければなりませんね。
佐世保競輪も開催を中止しています。私は、被災地支援を目的に開催した方が良いと思います。そして収益金の半分を義援金に回せば開催の目的が達成されると思います。マイナス思考ではいけません。競輪で損をした人も義援金を出したと思えば良いのですから。

2011年3月16日(水)
悲しい!

昨日は、佐世保市の特定検診(メタボリック:一緒にPSA検査と大腸がん検査)を受ける為ウォーキングは中止、午後から始めようかと思いましたが、横浜で不足している物があるとの要請があったので送りました。どうやら買い溜め現象が始まっているようです。もう少し冷静に対応して欲しいですね。計画停電と言っても3時間ぐらいですから、辛抱しようと思えば我慢できると思います。
佐世保市内でも懐中電灯や電池が不足がちです。遠く離れた佐世保で今は何もできないので義援金で応援したらいかがでしょうか。
全世界が日本人の行動に注目しています。全日本人でこの難関を乗り越え、見事に復興させようではありませんか、ねえ、みなさん!。

2011年3月14日(月)
他人ごとではない、何かしてやりたい!

こちら佐世保は暖かい朝を迎えました。東北地方は寒い、悲しい朝を迎えていることでしょう。とりあえず、義援金を寄付しました。日本国民の心ある人たちが千円でも寄付すれば相当のお金になるはずです。ホワイトデーで浮かれている人たちよ、少しでもいいから義援金に回してください。
昨日からそのほかにできることは無いかとイライラしています。できれば現地にボランティアに行きたいと思ってます。軽登山をしていましたのである程度の装備は持っています。準備ができればすぐにでも出発することが出来ます。62歳の私でもできることはたくさんあるはずです。しかし、ボランティアの基本はボランティア先の足手まといにならないことです。何とかしたいという気持ちでいっぱいです。
定年退職をした健康で体力のある方を集めれば一部隊ができると思うのですけど。

2011年3月13日(日)
被災地支援の為「寄付」します。

日を追うごとに災害の規模が明らかになっていきます。この災害の復旧をどうやってやるのか途方にくれます。被災で亡くなった方の多さも気になります。日本の経済もどうなるのでしょうか。少しでもの足しに「緊急災害募金」に寄付しようと思います。50年前に救援物資をいただいておりますし、支援をしていただけることは有りがたいことです。一人でも多くの方が救出されることを祈ります。
日本の底力(全国民の)を見せてほしいですね。しかし、この災害に乗じて悪巧みをしている輩もいることを忘れてはいけません。情報の正否に注意してください。
世界各国からも支援が来ているようです。普段から国際協力が大事ですね。私たち一人ひとりも何をしたらよいか真剣に考えましょうね。
さて、日当たりのよい公園の桜の蕾を撮影しました。開花にはまだまだのようです。

2011年3月12日(土)
巨大地震発生(東北地方太平洋沖)

昨日、車で移動中にラジオから地震発生のニュースが飛び込んできました。自宅に帰ってテレビをつけると予想以上の被害にびっくりしました。少し気分も悪くなりました。
被害にあった人たちにお見舞いを申し上げます。特に津波の被害が大きいようです、津波が押し寄せている状況をヘリコプターから中継していましたが、切ない気持ちになりました。
私も50数年前に「ボタ山崩れ」(山津波)の被害に遭い、真夜中に高台に避難したのですが、真っ暗の中で土砂が崩れる音や、家が倒壊する音を聞いていると、何とも言えない恐怖に陥りました。この避難場所も危ない!と思ったのか、母は私たち兄妹に比較的新しい学生服に着替えなさいと言い始めました。 あの時は不思議に思いつつも素直に着替えたのですが、後から聞いた話では、「逃げ遅れて、遺体で見つかった時にみすぼらしい格好ではみっともない」ということだったようです。母なりに死の覚悟をしていたのだと思います。
その母も今では療養生活実行中です。
東京にも、千葉にも、横浜にも友達がいます。「みなさん、無事でしたか?」、「昨日は電車が止まって大変でしたね」。
東南海地震も現実的になってきました。「備えあれば憂いなし」準備はしておくべきですね。

2011年3月11日(金)
ウグイス、見つけた!

少し暖かい朝だと思っていたら、ウグイスを見つけました。なかなか見つけにくい鳥ですが、今朝は私の為に現れてくれました。ウグイスは「緑色」をしていると思っている方がいらっしゃいますが、緑色ではありません。どちらかというと茶色に近い緑でしょうか。
今年初めてのウグイスの声は、「未完成さえずりホー短調」でした。ウォーキングを続けていると良いことにも出会いますね。
さて、明日(12日)九州新幹線全線開通日です。しかし、福岡や鹿児島などは潤うでしょうが、佐世保なんかは蚊帳の外です。国民の税金で建設するのだから、佐世保も見放さないで欲しいです。せめて、佐世保〜博多間の時間短縮をして欲しい。大阪などに行く場合でも、博多までの間に疲れてしまいます。
しかし、あまり便利になると地元の人が佐世保で買い物をしなくなります。痛し痒し・・

2011年3月10日(木)
昨日は不具合を出して「すみません!」

寒い朝が続いています。でも、少しづつ暖かくなっているような気がします。
昨日は当ホームページが「ぐしゃぐしゃ」になってしまい、醜態を見せてしまいました。ようやく一日がかりで復旧させることが出来ました。無料のサーバー領域が足らなくなったので別のサーバーに一部のページを移そうと思っておりましたら、サーバーに接続する設定を消してしまいました。
にっちもさっちも行かなくなり、やむなく一週間前の状態に戻しました。今回はリカバリファイルを作成していましたので他のデータも救うことが出来ました。「転ばぬ先の杖」でした。
おかげで本日のウォーキングは晴れ晴れとしていました。

2011年3月9日(水)
ちょっと怖〜い”標語”!

今朝も寒く、この寒さは今週の土曜日ごろまで続くようです。
3人に一人は”癌”と言われるようになりました。30年ほど前から加入している”がん保険”も最近の治療には役に立たないようです。だからと言って、新しい”がん保険”に加入しなおす・・ということも大変です。
地区の小学校にちょっと怖〜い交通安全標語を見つけました。
  「気を付けて、
     車が君をひいちゃうよ!」
効果抜群の標語でした。

2011年3月8日(火)
昨日は東京で雪が降ったそうな。

今朝も寒かった!なかなか暖かくなりませんね。しかし、夜明けは早くなっているし、日が沈むのも遅くなっています。確実に昼間の時間が長くなっています。
最近、ウォーキングの新顔が増えてきました。どうも定年退職した人がウォーキングを始めたのではないかと思われます。考えすぎですかね。もしそうだとすると、長続きするといいですね。
昨日のニュースで知ったことですが、東京で雪が降ったようですね。やっぱり3月でも雪が降るんです!。

2011年3月7日(月)
今日は午後から!

昨日は、朝から雨で一日中降り続いていました。よって、昨日のウォーキングは中止。今朝は父の再検査(物忘れ外来)の日で朝一番の受診でした。検査は「MIBG心筋シンチ」です。
検査時間が長くて二人ともくたびれました。検査費用は約7,00円ですから高い検査費ですね。もし私だったら21,000円かかります。
これでパーキンソン病かレビー小体型認知症かがわかりますが、どちらでもない場合は幸いです。
検査の結果は来週の金曜日(18日)です。

2011年3月5日(土)
今日はカミさんの誕生日、明日は結婚記念日

今日も寒かったですよ!気温は1度くらいでしょう。霜も降りて、あちらこちらが真っ白です。体を温める為、今日は「ゴボ天うどん」にたっぷりと七味唐辛子を入れて朝食としました。私のいつもの朝食メニューは、ごはん、納豆、味付け海苔、レタスのサラダ、ヨーグルト、トマトジュースです。これに、各種サプリメント(3種)とコレステロールの薬です。
朝食がメインのようです。夕食は腹六分目です。朝は1万歩のウォーキングですから、11時には腹が減ってフラフラです。よって昼食は11時過ぎです。こんな話で申し訳ありません。

2011年3月4日(金)
春はまだまだです・・寒かった!

今朝もグン冷え込みました。ヒートテックのズボン下を着てのウォーキングでした。3月に入っても油断はできませんね。横浜に住んでいるとき、大雪の結婚式で大変だったことを思い出します。
私のウォーキングは、始めた時よりも一日の歩数が増えております。平均で1万歩を超えるようになっています。少しづつ体力がついてきたのでしょうか。
昨日、近くの高専賃(高齢者専用賃貸住宅)を見学し、母の入居申し込みをしてきました。小規模多機能ホームを併設させてうまく運用させているようです。「こんな方法があったのか!」と勉強になりました。
近くに小規模の特別養護老人と有料老人ホームが建設されるようです。このような情報は理髪店なんかで収集しています。人が集まるところには情報が集まるのですね。

2011年3月3日(木)
MIBG心筋シンチ??

今朝は真冬並みの寒さでした。明日はもっと寒くなる予報です。
さて、父が今度受ける検査は「MIBG心筋シンチ」です。先日の「物忘れ外来」での検査の結果、「パーキンソン病」か「レビー小体型認知症」の疑いがあると診断されました。はっきりさせるための「MIBG心筋シンチ」検査です。アイソトープを静脈に注射して心臓のイメージを見るそうです。ちなみに、レビー小体型認知症は三大認知症(アルツハイマー型、レビー小体型、脳血管性)の一つです。特に幻聴、幻覚などの症状が現れ、男性に多いようです。(父もそうでした)他にも「尿酸値」が基準値よりも高いので腎臓の検査もあるようです。
MIBG心筋シンチの詳しい情報はネットでどうぞ。(勉強になりますよ)

2011年3月2日(水)
県内の公立校で卒業式

今朝は急に寒くなりました。完全武装でのウォーキングです。
さて、昨日は県内の公立高校が卒業式を迎えました。昭和42年に私も高校の卒業式を迎えたのですが、な〜んにも覚えていません。友人たちとは一年遅れての卒業だったので感激しなかったのでしょうね。高校生活はあまり楽しくなかったようです。44年も経ってしまいました。確実に時間は経過します。
卒業の日まで蒸気機関車の列車で学校に通っていましたからね。
母の見舞いは一日おきにしようかと思います。

2011年3月1日(火)
2月の総括・・今日から3月です(父、物忘れが外来受診)
2月の総括です。
   総歩数    252,488歩
   総距離    157,35キロメートル
   総消費熱量 7,246キロカロリー
   茶碗      33杯分
父の受診結果は後程お知らせします。
父の診断(検査)結果が出ました。レビー小体型認知症の疑いがあるとのこと。また、この病気により心臓に疾患が現れるので再検査をすることになった。レビー小体型認知症は男性に多く発症する。特に幻覚が現れることがしばしばです。(父もそうです)
また、歩行の障害や体の固さ伴うので、父のように転倒して骨折することもあり、そのまま寝たきりになることが多いそうです。
いずれにしても、早く検査してもらってよかったと思います。もし家族に気になる方がいらっしゃいましたら、早めに「物忘れ外来」を受診した方が良いですよ。(全国的にある)
年間月別総歩数
月   総歩数
2011年 1月 291,470
 2月 262,488
 3月 274,106
 4月
 5月
 6月
 7月
 8月
 9月
 10月
 11月
 12月
2010年 1月 206,873
 2月 179,246
 3月 237,443
 4月 205,390
 5月 230,580
 6月 209,979
 7月 236,067
 8月 223,150
 9月 240,808
 10月 224,409
 11月 246,037
 12月 289,047
2009年 1月 206,878
2月 162,005
3月 245,466
4月  250,280
5月  260,590
 6月  258,092
7月  263,645
8月 241,215
9月  
10月  
11月  66,900
12月  190,608

いつか迎える介護かな!