2011年12月31日(土) |
できれば普通に・・ |
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今年最後のウォーキングは相変わらず寒い朝だった。12月の歩数は、年間を通して月間新記録だった。この記録、当分は破られないだろう。
さて、今年も今日で終わり、今年は”東日本大震災”で始まり、そのボランティア活動、父の胆のう摘出手術、母の施設入所、義母の入院等、ひいき目で見ても平穏な一年であったとは言えない。そういえば、台風の被害もあったし、日本の経済が円高で疲弊したことも忘れられない。
振り返れば、ここ3年くらいはよくないことの連続だったように思う。もういい加減にして欲しいと思うのだが現実は思わぬ方向へ向かっているような気がしてならない。
来年はよい年に・・と無謀で贅沢な願いは持たない。できれば、本当にできればであるが、ごく普通な一年であって欲しい。普通な一年って何?と問われれば返す言葉もない。強いて言うならば、夏の日の涼風に癒される一瞬のような時が少しでも感じられる日々・・かな。でも、少しばかりの災いは覚悟しておかなければならないと思う。「意味のないことなど起こりはしない・・」という言葉も忘れないようにしてその時に備えておこうと思う。
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2011年12月30日(金) |
大掃除をした。 |
年末らしい寒い朝だった。車の量も少なくなったし、地方のナンバーの車をちらほら見かけるようになった。帰省しているのだろうか。
昨日、大掃除をした・・というよりも普通の掃除をしたというか、年末に掃除をしたのだから”大掃除”と言ってもよかろう。窓ガラスと玄関を申し訳程度の掃除でお茶を濁した。
私、サラリーマンの約40年間、正式に”正月をした!”というのは三分の一だった。残りは郵便局に駐在したり会社で待機したりで、31日から元旦はほとんど徹夜状態だった。だから、正月は好きではない。単なる月の変りであって、今日から明日になるだけだから、そんなに慌ててドタバタすることもないと思っている。むしろ、正月なんてものはない方が良いという気持ちが身に沁みついてしまっている。いわゆる、洗脳されたのだな。よって、元旦も雨が降らなければウォーキングをする。雪が降れば飛び上がって喜ぶ。
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2011年12月28日(水) |
火の用心・・カチカチ(2/2) |
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相も変わらず寒い朝を迎えた。冬はどうも肌に合わないような気がする。気が付けば足の小指に薄らと”しもやけ”の兆候。
さて、母が入所している施設では”餅つき大会”が行われた。昨夜は、町内会の”火の用心・カチカチ”が始まった。日本の文化というか風情を守ってくれているので嬉しい。さらに「火の用心、さっしゃりませ~」と言ってくれるともっと嬉しい。
昨日の続きだが、2件目と3件目はいずれも郵便局だ、もう20年以上も前の話だから時効は間違いないから白状?する。
2件とも日本でも有数の大きな郵便局で一つは歴史的にも重要な建物である。私が東芝の駐在員として郵便局にいた時、局内の火災報知機が作動した。火元はすぐに分かった。郵便物搬送用で天井近くに設置されたベルトコンベヤーがくすぶっていた。私は何も考えもせず”郵便番号自動読取区分機”に取り付けてあった消火器を持って火元のベルトコンベヤーによじ登り消火活動をした。幸いにボヤで終わった。3件目は局内炊事場でのボヤ消火である。共通して言えるのは、2件とも”口外はしないで”という事だった。明るみになっていたなら、局の責任者は何らかの処分を受けていただろうと思う。隠ぺいはいけない。しかし、必ずしっぺ返しに会う。
告知、明日はウォーキングを休みまーす。
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2011年12月27日(火) |
火の用心・・カチカチ(1/2) |
今朝は今シーズン一番の寒さだったのではないだろうか。おそらく気温は零度だったのではないだろうか。
さて、私、火事の発見・通報・消火を生涯で三度も経験している。いずれも公の施設ばかりである。そのうちの一つは、私が小学二年生の頃に経験したことである。小学校はベビーブームの煽りを受けてマンモス校になっていた。私は二年B組で上の校舎、下の校舎に分かれてていた下の校舎の1階の教室だった。二時間目かお昼の休み時間だったのかは覚えていないが、校舎の裏側にある足洗い場でのことである。少し焦げ臭いがしていたのでおかしいなと思っていた。ふと、上を見上げると、足洗い場の出入り口にある1階と2階部分の境にしつらえた木造の小さな軒から煙が上がっていたのだ。さらに下から見ると赤い炎のようなものも見えた。発見したのはもう一人居たのだが誰だったか覚えていない。すぐに近くにいた先生に知らせた。2階の窓から洗面器に入った消毒臭い水をかけたり、下から足洗い場のコンクリートでできたタンクの水をかけたりして消火した。
放課後、私たち二人は校長室の入り口で待たされた。しばらくすると、消火に当たった先生が校長室から出てきて、「もう帰ってよかよ」と一言。あの時、「今日の火事のことは誰に言わないでね」と言われていたら、おそらく親兄弟、友達に喋っていただろうと思う。言うなと言われたら言いたくなるものである。原因は先生が2階の窓から捨てた煙草の吸殻だったと思う。休み時間でなければ発見も遅れ、木造の校舎は重大な事態になっていたと思う。今だから言えることである。火の用心!カチカチ。
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2011年12月26日(月) |
イルミネーション |
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とうとう雪は降らなかった。気温は十分に低いというのに。今朝も寒い夜明けだった。風も少しばかり強かった。
各家庭や街並みやテーマパークなどではイルミネーションが輝き人々の気持ちを和ませている今日この頃である。「今年はLEDだから・・」と言って去年よりも倍のイルミネーションを飾ったりすると意味のない節約になってしまう。LEDを生産するにはそれなりの電力も必要になる。消費が伸びるからと言われれば妙に納得してしまう。しかし、こればっかりは納得できないものがある。街並みや公園の街路樹に”フリカケ”のように飾られたイルミネーションのことである。
街路樹曰く、「こう毎日チカチカやられたんでは眠れんな」とか、「ワシャ、冬が怖い・・不眠症が怖い・・そろそろ心療内科に行かねば・・」と思っていることだろう。樹木も”睡眠”が必要ではないだろうかね。”ねむの木”っていう木もあるのだから。そろそろ休ませてやってはどうかな。
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2011年12月25日(日) |
雪降らず・・ |
天気予報に裏切られた!気温も十分に低いので降る雨は全て雪になるはずなのに空には青空が見えてきた。今朝は風も吹いていたのでマスクをしてウォーキングした。
最近思うことがある。自分が生きている間は平穏で安寧な世の中であって欲しいと思うのだが、どうもそうではないような気がしてきた。「そうは問屋は卸さない」といったところだろう。とてつもない不幸が訪れて、人間の力ではにっちもさっちもいかなくなり、生きることを諦めなければならなくなる事態が来るのではないかと思う。「一寸先は闇よ」という事もあるから今の状態を誰も保証できないのではないか。其の時、「どうしてこんな時代に生きてしまったんだろう」と思うのだろうな。しかも、それは突然やってきそうな気がする。それが一瞬のことであれば精一杯の幸せなことかもしれない。「復旧・復興」という言葉を発する暇もないのだからね。しかし、今日のようなクリスマス記念日に思うことではなかろうと思う。暗い話になってしまった。雪が降らなかったので失望したのだ。
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2011年12月24日(土) |
クリスマスというけど。 |
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今朝起きて外を見たら、期待した雪は降っていなかった。(ガックリ)空は星空で”きらめく星座”だった。気温は低い。
巷はクリスマスイブで、今年は都合よく3連休中だから盛り上がっているようだ。我が家は昔っからクリスマスなんて行事はよそ事のようになっている。幼い頃から”本家”では家訓とでもいうか祝い事は正月のみで、誕生日、成人式、結婚記念日などは祝うことがなかった。商売が忙しかったから普段の祝い事など余計なことだったのかもしれない。しかし、私の親は、クリスマスに似た異常な行為をしていたので、幼いころはクリスマスを誤解していた。1月1日、目を覚ますと枕元にプレゼントのおもちゃが置かれていたのである。しばらくは、正月とクリスマスは同じ日だと思っていた。
横浜でのことである、スーパーの酒売り場で「梅本家」(うめもとけ)という酒を見つけた。「珍しいから買おうよ」と言うと、「”うめほんけ”と読むのよ、た・だ・の・梅酒!」とカミさんに言われて我に返った。勘違いも甚だしい。
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2011年12月23日(金) |
寝過ごした!不覚! |
今朝は寝過ごしてしまった。よって、夜明け前の寒さを体験していない・・が、夜が明けても寒い、今シーズン一番の寒さのようだ。空はすっきりと晴れ渡っていて気持ちがいい。
目覚ましはラジオだが、タイマーのセットを忘れてしまった。いつもはラジオが鳴り出す前に目覚めるのだが、今朝は不覚だった。
ウォーキングは、今年最後の弓張岳登山?としたいな。午後から出発する。
ラジオで聞いたことだが、ウォーキング中に「イッチ、ニー」とか「オイッチ・ニー」と掛け声をかけるのはよくないらしい。今時「オイッチ・ニー」などの掛け声をかけるのは戦中か終戦直後に生まれた人だろうと思う。しかし、無意識に「イッチ・ニー」とリズムを取っているのは間違いなかろう。ウォーキングの先生曰く、「イッチ」で右足に力が入って「ニー」の右足にはどうしても力が抜けバランスの悪い歩き方になるらしい。よって、「イッチ・イッチ」とリズムを取るのが良いという。「さもありなん」と思いつつ試に「イッチ・イッチ」で歩いてみた。どうしても「ハラ・ホレ・ヒレ」とズッコケるのである。そして思った、60過ぎの余命幾許かの人生、ズッコケるような「イッチ・イッチ」というリズムより、「イッチ・ニー」というようなバランスは悪いが、体に馴染んだリズム感で生き抜いてみたい。今更体の左右のバランスが悪いと言われても手遅れだわ。
今日の佐世保港にはアメリカの強襲揚陸艦(エセックス)と日本のイージス艦が揃い踏みである。
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2011年12月22日(木) |
年の瀬の街・・冬至 |
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我が家は晦日だのおせち料理だのと大騒ぎをしない。巷では正月の準備やらで大わらわだという。昔、師走になって御徒町の「アメ横」に行ったことがある。案の定まっすぐサッサと歩けないくらいの人である。道幅が狭いのでトコロテンを押し出すように人は動いてくれない。物売りの切羽詰まったような怒鳴り声が左右から聞こえてくる。「安いよ、ネー其処のネーさん安くしとくよー!」とか終いには「持ってけドロボー」という始末。「あんたにドロボーと言われる筋合いはない!」と思いつつ、「それじゃー頂こうじゃねーか」と気持ちの中で啖呵を切りながら食べきれないほどの「筋子」などを衝動買いしてしまうのだ。買ってしまった後にレジ袋に入ったいくらの重さに困惑するのは私だけかな。
ところでだ、いつも思うことだが、雑踏の中、目には見えないがゴミがもうもうと舞い上がっているような環境で生ものをむき出しで店頭に並べ売るというのもどうかと思う。おそらく、筋子やマグロの切り身には薄らとゴミが積もっているのじゃないかと思う。もっと想像を巡らせると、脂でっぷりと貫録のある脂ぎったおっさんのだみ声から発せられる唾や、品定めに覗き込む50過ぎたネーさんの厚化粧がポロリとはがれおちているかもしれない。そうなると、アメ横は買い物をするところではなく、年の瀬の日本の風情を味わうところではなかろうかと思う。もう一度、アメ横の雑踏にこの身を埋没させてみたいと思う今日この頃である。ああ、身もふたもないことを言ってしまった。
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2011年12月21日(水) |
イカは一夜干し |
昨日よりも幾分気温が高いようだ。空は青空が少ない。明日からいよいよ寒波がやってきて平地でも雪が降り積もるとのこと。「ヤッター、ヤッター、ヤッターマン!」(古い!)
さて、昨日頂いたイカは一部がチャンポンの具となり、一部は冷凍、最後に残ったものは「一夜干し」になった。身が肉厚なのできっと美味いと思う。
さて、作り方です。イカを所定の方法で開いて、塩、酒、水の溶液に25分ほど漬ける。その後は気の向くままに干せばよい。一夜干しというのだから一晩待てばよいのだが、触って水気がなくなれば出来上がりなのだ。そうそう、皮を剥ぐか剥がないかは好みだから自由でよい。しかし、見た目を気にするのならば剥いだ方が良いと思う。皮を剥がないと旨味が増すという話もある。新鮮なイカであれば簡単に皮がはがれるから出来るだけ新鮮なうちに剥ぐとよい。と言うが、皮を剥いだのはカミさん。
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2011年12月20日(火) |
初霜! イカを頂いた。 |
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また寒波がやって来るようだ。今朝も寒かった。今シーズン初めての初霜になった。それでもウッドデッキ全体が真っ白にはなっていない。今週末には雪が降るとのことだから楽しみだ。雪だるまでも作ってみたい。
「レンタル犬・うめ」の飼い主さんにイカを頂いた。食べきれないほど頂いたので一部は冷凍してチャンポンの具にしようと思う。
長崎県の方言に「よか」というものがある。この方言は三つの意味を持つので県外の方は理解し難い。
「よかねー」の「よか」は、「いいねえ」という意味。「そいでよかよ」は肯定の意味。「気の毒ッかけん、よかですよ」は、「申し訳ないから遠慮します」というような意味だから遠回しに拒否をしていることになる。長崎県の方言が特別ではないのだが、何故一つの言葉が複数の意味となって使われているのか、その背景が気になる。長崎弁を堪能したい方は、NBCラジオ「佐田玲子のレイコランドカフェ」(NBC)を聞いてみるといい。(毎週月曜日午後9時から)長崎県以外のかたは、「佐田玲子のレイコランドカフェ」で検索すると聞くことができる。ネイティブな長崎弁を語るので面白い。 |

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2011年12月19日(月) |
ズルして休んだ! |
布団の温もりから抜けだせなくウォーキングを休んでしまった。布団の温もりが罪悪感に変わった。
本日”介護ページ”の更新と、メインページに”梅屋へのお問い合わせ”リンクを追加したので勘弁して。
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2011年12月18日(日) |
アルバイト続きの続き・・ |
一月前の予報では、12月の気温は高め・・という事だったが予報は外れたようだな。今朝も寒いどんよりとした曇り空の夜明けだった。
高校生のころに金物屋でアルバイトをしたことがある。例によって店番のような楽な仕事だと勝手な想像をしてしまうのだが、仕事の内容は”家の雨樋取り付け”だった。なかなか楽はさせてくれない。傷んだ雨樋の付け替えや、新築の家の雨樋取り付けで、ご多分に漏れず暑い夏の外の仕事である。この仕事は頭を使わなければならない。折角取り付けても降った雨水が首尾よく雨樋を伝って流れてくれなければならない。雨樋受け用の金具からとりつけるのだが、全体の傾きを考えながら取り付けないと大失敗となる。一番困ったことは、古家の雨樋だ。屋根の軒先は腐ってしまっていて、雨樋受けの金具がうまく取り付けられないのである。日給700円では割りあわないアルバイトだった。
この仕事に「スカッと爽やかコーカコーラ♪」は似合わなかった。
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2011年12月17日(土) |
アルバイトの続き |
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今シーズンの最低気温更新!今朝は寒かったなあ。空はどんよりとした曇り空だった。この寒さ、次第に和らいでいくという予報だ。雪もパラパラと降ったきりだった。
さて、アルバイトの続きだが、ガソリンスタンドのアルバイトは私の憧れだった。本屋の立ち読みで車の本を読み漁っていたので車に興味があり、車にガソリンを入れる姿も格好いいと思っていた。颯爽と車にガソリンを入れる自分の姿を思い描いていたら、私の担当はプロパンガスの配達だった。とんだ期待外れだった。配達先は主に炭鉱住宅だった。車で配達できるのは住宅街の入り口までで、そこからは20キロのボンベを担いで配達するのである。夏休みのアルバイトだからじっとしても暑いというのにボンベを担いで坂道登るのである。「汗が滝のように流れる」という表現を実感したのはその時であった。まさに汗が繋がってダラダラと流れるのである。帰りは空のボンベを担いで下るのだからこの時ばかりは至福の時だった。ガソリンスタンドに戻ると、時々コカコーラをごちそうしてくれた。ガラス瓶入りのコーラを飲みながらガソリンスダンドでコーラを飲んでいる自分の姿に思いを巡らせて妄想にふけっていた。「スカッと爽やかコーカコーラ♪・・」
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2011年12月16日(金) |
似ているようで 似ていない! |
今シーズン一番の寒さで雪が降りそうな夜明けだった。今夜から明日の朝にかけてもっと冷え込むようだ。車も冬装備を完了しているので「一つ雪でも降ってもらえんかな」。冬は嫌いだが、雪は好きだ。
ずーっと思い続けてきたことを一つ、長崎県の童歌?に「でんでらりゅーば出てくるばってん、でんでられんけんこーられんけん・・」というよくわからんものがある。この歌、東京ディズニーランドのエレクトリカルパレード・ドリームライツの曲に似ている。長崎県にお住いのあなた、ディズニーランドの曲に合わせて「でんでらりゅーば・・」を歌ってみては?。似ているようで似ていない?今でもエレクトリカルパレード・ドリームライツの曲を聞くとウキウキして心わくわくするのは、長崎県生まれのDNAのせいかもね。
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2011年12月15日(木) |
アルバイト |
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佐世保地方は双子座流星群を観測することは出来なかったんじゃないのかな。夜半から曇ってしまって、今朝も曇り空だった。佐世保は天体観測には向かないようだ。そんなに流れ星を見たいのなら富士山にでも登ればよいと思う。ドデカイ流れ星に出会うことを保証する。
最近の中高生はアルバイト禁止だそうで・・。私は、中学2年から毎年の冬休みと夏休みをアルバイトに費やした。よって、勉強もせず、成績もどん底の状態だった。職種は、家具屋、金物屋、ガソリンスタンド、役場(支所)など様々である。日給は700円(時給じゃない)。私は中学生をもって”汗をかいて”、”きつい思いをして”、”嫌な思いをして”、金を稼ぐことを経験してしまった。一番つらかった仕事は役場での転出届け受付だった。炭鉱が閉山し、街に見切りをつけて出ていく人が多かったので転出届の受付は悲惨だった。複写機が整っている時代ではないので原簿からの写し取るのはすべて手書きだった。ボールペンを握る手は硬直するくらい痛くなった。つらかったのは、転出家族の原簿を見るたびに友達の生い立ちを知ってしまうことだった。ある日友達のお母さんが転出届を出しに来たのだが、私が転出届の受付をしているのを見てびっくりして、手招きで私を呼ぶのである。「あのね、この子が養子だということは黙っておいてね・・」というのである。個人情報保護法などない時代である。知ってはいけないこと知ってしまった・・これはつらかった。
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2011年12月14日(水) |
鯵、頂いた。 |
今朝は青空で始まったが、ウォーキングを終わる頃にはどんよりとした空になってしまった。気温は少し高め。明日の夜から強い寒波がやって来てグッと寒くなるようだ。今週末の最低気温は1度という予報だ。
今朝は、「レンタル犬・うめ」の飼い主さんから新鮮な鯵を頂いた。今日の夕食は鯵の煮付けかな。
カミさんのお母さんは97歳。現在入院中で全身に黄疸が出ているし、相当弱っている。しかし、頭はしっかりとしていて生きる気力もある。97歳までボケないで生きたことに敬意を表したい。膵臓がんでもあるのだが、大正初期から生きて来た人は強いと思う。私もボケずに自力で生活できるのであれば100歳まで生きてみたいと思う。しかし、自然とともに生かされているのであるから自分の希望などは叶えられない。自然のおもむくまま、心のおもむくままである。
そういえば、今晩から”双子座流星群”のピークを迎える。早寝早起きの私には興味がないというか、流れ星をみて願い事をいうような心境ではない。願い事を念じて100%叶うというのなら”耳鳴りを治して~ッ”とお願いしたい。不埒な願いなど無視されるだろうな。
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2011年12月13日(火) |
暮れ・・この時期 |
今朝は久しぶりに青空の見える朝だった。夜明けはますます遅くなって7時15分。冬至までは仕方がないが、日没時間が遅くなっているように思うが気のせいかな。
幼少のころの我が家の生業は製靴屋だった。暮れが近づくこの時期は、正月に間に合わせるため夜遅くまで「トントントン」という音がしていた。昔は、正月に新しい靴で街を闊歩するのが当たり前だった。炭鉱の町だから中途半端な「やくざ屋さん」が居て、彼らはコードバンの半長靴を履きたがる。一足5,000円以上もする靴を”宵越しの銭”で作るのであるからまことに”やくざ屋さん”である。大晦日の夜遅くまで出来上がった靴を取りに来るので”年越し蕎麦”どころの騒ぎではなかった。時々、進駐軍に払い下げてもらったような野球のスパイクを持ち込んで、「これを革靴にしてくれんや」という客もいた。父は嫌がらず見事に革靴に仕立て上げるのである。プロレスの興行で東富士やボボブラジルが来た時もあった。(豊登もいたかな)東富士のレスリングシューズを持ち込んできて、シューズの底を張り替えてくれというのである。普通のサイズの“半バリ”はあるのだが馬鹿でかい靴の半バリ用の革はなかった。しかし、父は見事に張り替えるのであった。そんな時代だった。
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2011年12月12日(月) |
胡蝶蘭の花芽 |
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今朝は昨日の朝よりも幾分暖かい朝を迎えた。空はどんよりとした曇り空で冬らしい。初霜は未だだな。
NEWパソコンの設定(ソフト)もほとんど完了し、本格的に稼働し始めている。あとは、メモリーを8ギガに増設する予定。これで5万円のパソコンが10万円台のパソコンに化ける。ディスプレイも22インチのマルチだから気持ちがいい。何か仕事をしたいな。ExcelVBAを使った簡単なシステムはお手の物です。JAVAも勉強しなくっちゃね。
さて、3年前の退職時に頂いた”胡蝶蘭”に今年も花芽が出始めた。大事に育てると長持ちする。長持ちさせるには、贈答品の胡蝶蘭はビニールのポットに植えられているので、そのまま育てると根がはらなくなって枯れてしまう。必ず素焼きの大き目の鉢に水苔を入れて植え替えることだ。土は使わない。これで毎年花芽が出てきれいな花が咲く。ただし、増やすことは素人には難しいようだ。
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2011年12月11日(日) |
忘年会か・・ |
今朝はかみさんが義母の看病で病院泊まりとなったので早めにウォーキングに出発した。父の朝食の準備もあったので早めに帰らなければならなかった。今朝の空模様は、どんよりとした曇り空でいつまでも暗く寒い朝だった。
さて、会社勤めをしている頃、徹夜作業で東横線の一番電車に乗って横浜に帰ることがあった。一番電車だから空いているのかと思ったら結構混んでいた。渋谷からの電車なので若者が多い。吐きそうな顔をしてドア近くに陣取っている若者が居て、次の駅で我先に飛び出てゲロを吐こうとしているのだと思う。酒の臭いや、すえ臭い匂いを社内に閉じ込めたまま電車は終点の桜木町に着く。吞み疲れて眠っていた彼らは、モソモソと起き上って改札口へと向かうが、そのまま眠り続けて渋谷へ向かう若者もいる。折り返し電車だから駅員も起こそうとしないのである。社内には携帯電話が結構落ちていて、私はそれを拾って駅員に届ける。徹夜で仕事をしていた自分が何故吞み疲れた若者の後始末をしなければならんのかと思った。忘年会の時期にこの光景は特に多いが、この時期に忘年会という断り書きに頼って吞むこともあるまい。毎日が”亡念会”だろうが。
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2011年12月10日(土) |
パソコン来る |
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今朝も寒かった。雲も多く冬の空になっている。
昨日、タイヤを冬用に交換した。タイヤ交換の全工程は約1時間あまり。結構腰に来ます。素人がやるとボルトの山を崩してしまって。次回はボルトの交換から始めなければならない。果たして”次回”が有るか。
さて、昨日ディスクトップパソコンがやってきた。CPUはインテルのi7で最高速。おまけにグラフィックボード搭載。無駄になっていた22インチのディスプレイ2台が有効になった。現在ソフトのインストール中で今日中に本格稼働となる。あちらこちらと安いパソコンを探していたが、やっと5万円のパソコンが見つかった。インテルCPUi7を搭載したパソコンとしては”拾い物”だった。キーボード900円、マウス1000円。できるだけ安く仕上げた。ネットよりも安くなった。暫く時間が潰せる。
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2011年12月9日(金) |
いやーッ寒かった! |
今朝は寒かった。今シーズン一番の寒さで、思わず耳あてをしてしまった。4,5日は寒い日が続くという予報だ。これが普通の気候なんだろうなと思う。
さて、車の冬支度もしなければならない。スタッドレスタイヤへの交換だが結構時間がかかる。九州で車の冬装備?と思うだろうが、我が家の場合は年寄りを抱えているので緊急の場合は凍結していようが雪が積もっていようが車を利用しなければならない。また、坂道も結構多いので安全のために必要になる。現在のスタッドレスタイヤは4年目になるが、結構寿命が長い。3月の中旬まで使うので、ノーマルタイヤの寿命も自然と長くなるから費用対効果の面からいっても効果があると思う。何よりも安全であって、小規模な「リスクマネジメント」である。そうそう、この時期に黒川温泉などに車で出かけるのならばスタッドレスは必要になる・・が、そんな温泉にも行けそうにもない。
昨日は、雨の為ウォーキングを中止した。
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2011年12月7日(水) |
夜のストレンジャー |
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今朝は明るい曇り空で気温は幾分高い。ウォーキング終了時には小雨が降ってきた。
20歳の頃、私は豊川市の会社寮にいた。部屋の中には田舎から持ってきた唯一の電気製品であるラジオが4畳ほどの部屋に置かれていた。夜はこのラジオが友達だった。正確に覚えていないが、夜の10時ごろになると「夜のストレンジャー」というラジオ番組が始まる。最初に聞こえてくるのは鉄道の操車場の音で、ポイントを切り替える音や機関車の汽笛が聞こえてくる。次第に機関車が遠くから汽笛を鳴らしながら走って近づいてくるが、同時に美しいスキャットが聞こえてくる。クライマックスには番組のタイトルが哀愁のある声で紹介される。「夜のストレンジャー・・」。間もなく番組は詩の朗読へと移る。私は舞台俳優である吉田日出子さんの朗読が好きで、彼女の朗読を聴きながら、「自分はどうして豊川にいるんだろう」と故郷を想い出し枕を濡らしていた。
番組の始めに流れてくるスキャットが次第に話題になり、「誰が歌っているんだ!」、「題名は?」という声があがった。番組ファンの要望なのか知らないが、そのうちスキャットに歌詞が付き、歌手の名前も明らかになった。「由紀さおり」である。最近は「1969」というアルバムも出て話題騒然のようだ。因みに彼女と私の生まれ年は同じで、「どうも他人とは思えない・・」と妄想をめぐらせている。
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2011年12月6日(火) |
耳鳴りが少し緩和? |
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今朝も昨日と同じ陽気だが、それでも気温は平年より少し高めのようだ。今週末からは真冬並みの気温になるという予報だから少し楽しみ。
さて、厄介な耳鳴りだが、最近緩和の兆しがある。最初の薬は全く効かなかった。2回目の受診でいただいた薬で「緩和」という効果があったようだ。2週間ずつの投薬で来週の火曜日が次の受診日である。前回受診したときに、これから3種類の薬を試してみますと言われた。最後は漢方薬ということだ。そこでだ、今飲んでいる薬で随分良くなりましたと言うか、まだまだ治っていないと言うかである。前者だと、今の薬で良しということになると次の薬の効果が試せなくなって「緩和」のままで終わってしまうような気がする。最後の漢方薬まで行くと「絶望」ということになるかもしれない。さて、耳鼻科の先生になんと言おうかと思案中だ。
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2011年12月5日(月) |
読み終えた |
今朝は昨日よりも気温が下がっているように思う。夜明けが遅いのでスタート時は分からないが、日が昇るにつれて東の空は夜明けのグラデーションとなる。
さて、「いねむり先生」という本を読み終えた。私の場合は本を読むスピードが遅い、にもかかわらず、読んでいる途中で余計なことを考えすぎるから余計に遅くなる。具体的には、「こんな本を読んでていいのか」、「読んでいる暇あったら他にやることが有るだろう」とか、要するに集中力がないのである。面白くない本だからといったら身も蓋もない。「スリーカップオブティ」という本は半年もかかっていいる。私の場合は、複数の本を並行して読む癖もあるので結局読み終える時間がかってしまう。「原因と結果の法則」(ジェームス・アレン)という本がある。厚さは正味10ミリぐらいでページ数が少ない。しかし、理解しながら読もうとすると相当時間がかかる。難しい本でもないのだが何故か読み返さないといけないような状況になるのである。読解力が不足しているだけなのかもしれない。今日から「終わらざる夏」(浅田次郎)を読み始める。
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2011年12月4日(日) |
「せからしか!」 |
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今朝はやっと寒くなったという感じだ。雲は少し多めだが気持ちの良い朝だった。夜明けはますます遅くなって7時を過ぎている。
来年、64歳のお誕生日を迎えると現在の年金が満額支給となる。「にもかかわらずだ、払い過ぎた年金があるから減額するだとー!」、「せからしか、今になっていうな」、「やり方がキタネー!」と言いたくなる。
いろいろ事情はあるだろうが、損をしたような気持にさせないでくれとも言いたい。年金年金と口にするようになった自分も情けないが、誰もが通る道だから仕方がない。しかし、今まで年金保険料を払っていたからこんな愚痴も言えるが、年金未加入の若者が平等に歳をとってしかるべき時が来たとき、愚痴など言うどころの騒ぎではなかろう。「レンタル犬・うめ」はいいなあ!、年金の心配もいらないし、健康保険、火災保険、葬儀代の心配もなしか。仮に痴呆症がでても「可愛い」と言われて老後の心配もなしか。
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2011年12月2日(金) |
新高山登レ |

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昨日の強風は治まって今朝は穏やかなスタートだった。あちこちで「冷えているーっ」という声を聞くが、こちらはそうでもない。
さて、先の大戦の開戦日は12月8日ですから来週にということになる。開戦の暗号文を紹介すると次のような内容である
GF電令作10号
発令日時 12月2日 1730
本文 「新高山登レ 1208」(終)
この暗号文によって日本は大戦に突入していくのであるが、ちなみに、攻撃停止の暗号文は「ツクバヤマハレ」だった。
もし、攻撃停止の暗号電文が発せられていたらと考えるが、それは歴史が証明してくれる。「新高山登レ・・」の暗号電文が発せられたのは佐世保の針尾無線塔からという説があり佐世保住民としてはそのように信じていたいが、じつは、そうではなく千葉県船橋市行田無線塔から発信されたという説があり確かな根拠と文献がある。佐世保にとっては少々分が悪い。それはそうと、今まで気が付かなかったのだが発令日は12月2日なんだな。
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2011年12月1日(木) |
11月の総括 |
10月の総括です。
総歩数 263,525歩
総距離 157.99キロメートル
総消費熱量 7,293キロカロリー
茶碗 33杯分
とうとう12月になってしまった。師走、年末、などという言葉が盛んに使われるうちに、あっという間に除夜の鐘を聴くことになるのだろうな。ウォーキング総歩数表の12月にも歩数が入って年の終わりを実感できる。よくも1年間続けたなと感慨深い。
今朝は昨夜からの強風が続いていて歩きにくい朝だった。気温は少しばかり低くなったように思う。午後にはもっと下がるという予報である。
下の写真を見てみると、佐世保にも紅葉が訪れたようだ。写真では良くわからないが、実物はもっと鮮やかで綺麗である。でも、やはり緑のほうが圧倒的に多い。「ああ、早く半ズボンの季節がやってこないかなあ」
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